
白兎海岸
1.出雲は古代のロマンと神話の国
因幡の白兎
タイトルに「出雲」と掲げながら、いきなりTOP画像は因幡国の白兎海岸。
古事記の神話を読んだあとは、神話ゆかりの地を訪ねるのも一興かということで
今回は大国主命(おおくにぬしのみこと)が活躍した「出雲神話」についての話題です。
古事記では「大国主神(おおくにぬしのかみ)」と表記されています。
「出雲神話」は古事記にだけ書かれていて、日本書紀にはありません。
「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」の神話もそのひとつ。
お馴染みの「因幡の白兎」は、心優しい大国主命に白うさぎが助けられるという物語です。
島(一説には隠岐)から陸に行こうとたくらんだ白兎は、
サメを騙して利用しようとしたのですが上陸直前にバレてしまいます。
怒ったサメに皮をはがされて苦しんでいたところ、通りかかった大国主命の兄たちに騙され
さらに苦しむことになってしまいました。
兄たちから遅れてやって来た大国主命によって、白兎は助けられました。
この部分だけがクローズアップされていますが、
実は古事記の神話では大国主命の旅のひとこまでしかありません。
古事記神話ではこの後、大国主命には過酷な試練が待ち受けています。
古代出雲王国

西谷墳丘墓2号墳
古事記では出雲は神話の舞台ですが、大和に勝るとも劣らない王国があったと思われます。
その王国の記憶が、神話という形で古事記に残されたのでしょうか。
王国があったというその証が西谷墳丘墓群や大量の銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡、
そして358本の銅剣などが出土した荒神谷遺跡の存在。
それらは出雲国風土記に記されている、
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)に関係していると思われます。

荒神谷遺跡から出土した銅剣(島根県立古代出雲歴史博物館)
島根県立古代出雲歴史博物館には、荒神谷遺跡から出土した銅剣が展示されています。
レプリカではなく、本物なので迫力があります。
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2.縁結びの神さまは 実はモテモテのプレイボーイだった???
大国主命はモテモテだった?
「縁結びの神さま」として信仰されている大国主命ですが、
神話ではけっこうなプレイボーイぶりを発揮しているのをご存知でしょうか?
先にご紹介した因幡の話では、兄たちを差し置いて八上比売(やがみひめ)から求婚されます。
さらに大国主命はスサノオの娘、スセリビメを奪って妻とします。
その後も大国主命は越の国のヌナカワヒメや宗像三女神のタキリビメなどを妻としました。
大国主命を祀る出雲大社(いずもおおやしろ)などの神社は、
縁結びの神として信仰されています。
しかしこのように各地で浮名を流した大国主命を
「縁結びの神」として信仰していいのか心配になりますね。
多くの別名を持つ大国主命
大国主命は大穴牟遅神( おおなむちのかみ)、葦原色許男命(あしはらしこおのみこと)
八千矛神(やちほこのかみ)などの別名を持っています。
古事記ではスサノオから「大国主」と命名されたようなことが書かれています。
その部分を要約すると次のような内容です。
「おまえは葦原中国(地上の国・日本)を治める大国主神となり
ワシの娘を正妻として、立派な御殿に住みやがれ、このやろう!」
なんとも乱暴な「エール」ですが、スサノオの怒りもわからないでもありません。
大国主命はスサノオが寝ている隙に、髪の毛を館の柱などに結び付け
娘のスセリビメだけでなく、大刀や大弓なども奪って逃げたのですから。
3.出雲大社 縁結びの神
全国の神々が集う社

出雲大社1
大国主命が「縁結びの神」として信仰されている理由のひとつは
出雲大社での神在祭、つまり全国の神さまが出雲大社に集まって行われるとされる
人々の様々な「ご縁」に関する会議です。
しかしその「会議」が行われるのは、実はたったの一週間です。
私としては個人的には良縁を願うなら、
会議に参加するご近所の氏神さまにお願いした方がよさそうだと思うのですが。。。
そしてその神在祭ですが、全国の神々が集まるのは出雲大社だけではありません。
神々は出雲大社を出たあと、日御碕神社、神魂神社(かもすじんじゃ)などに集まり
最後に万九千神社から旧暦の10月26日に出雲を出てそれぞれの国にお帰りになります。
絶対オススメ 島根県立古代出雲歴史博物館
出雲大社本殿は高さ24mあるそうですが、古代には48mあるいは一説には96mあったとか。
信じられないような高さですが、その存在を証明するような遺構が発見されています。
その遺構や、古代出雲大社の模型(想像)などは、出雲大社のすぐお隣にある
島根県立古代出雲歴史博物館で見ることが出来ます。
この記事の少し上でご紹介した、荒神谷遺跡の銅剣や
加茂岩倉遺跡で発見された銅鐸も「本物」が展示されています。
出雲大社に参拝したら、ここは是非とも訪れていただきたい場所です。
4.神話のふるさと島根県
出雲国の中心地
神話のふるさと出雲国は、現在の出雲市周辺だけではありません。
古くは松江市の南部、「意宇郡(おうぐん)」が出雲国の中心でした。
今でも出雲国造家と深かったとされる「意宇六社」などがあります。
「意宇六社」とは出雲大社と並んで出雲国一ノ宮と称する熊野大社。
本殿が国宝に指定されている神魂神社(かもすじんじゃ)。
縁結びの占いが大人気の八重垣神社。
出雲国庁跡(遺構)に隣接する六所神社。
真名井の滝の御神水に由来すると言われる眞名井神社。
そしてイザナギが黄泉の国から逃げ帰ったとき、
黄泉の国への入口を封印したとされる場所「黄泉比良坂(よもつひらさか)」の近く
日本書紀や出雲国風土記にも記された神社、揖夜神社(いやじんじゃ)の六社です。
しかしこれらは現存する神社や遺跡であり、神話との結びつきは不明です。
古事記や日本書紀の神話にはありませんが、
この意宇郡については「国引き神話」が出雲国風土記に記されています。
古事記にはない神話ですが、有名な神話なので聞いたことがあるのではないでしょうか。
「国引き神話」は八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が主人公です。
出雲国を小さく造ってしまったので、北陸や朝鮮から余った土地を引っ張って来たという話。
それが現在の島根半島だと言う、壮大な神話です。
古事記では「出雲」は神話の世界です。
しかし加茂岩倉遺跡の銅鐸、荒神谷遺跡の銅剣など
そして西谷墳丘墓群の四隅突出型墳丘墓の存在から明らかなように
出雲には確かに強大な王国があったのです。
そしてそれは決して滅びたのではなく、私たちの祖先にも大きな影響を与えたと思います。
それらの記憶は大和の歴史にかき消されたかのようですが、
各地にその痕跡を残しています。
島根県以外の「出雲」
島根県だけでなく、関西の各地に出雲の痕跡を感じさせる地がいくつかあります。
丹波国一ノ宮の出雲大神宮の存在や京都など各地に残る「出雲」という地名。
そして大和(奈良)にも出雲色を強く感じる地域があります。

高鴨神社
この神社は奈良県御所市にある、高鴨神社。
「名神大社」という高い社格を与えられた、由緒ある神社です。
御祭神は阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)、
事代主命、下照姫命など。
これらの神々は大国主命の御子です。

出雲大神宮
京都府亀岡市にある、丹波国一ノ宮・出雲大神宮。
御祭神は大国主命(オオクニヌシノミコト)と三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)。
島根県にある大社が出雲大社という名称になったのは明治以降。
それまでは杵築大社と呼ばれていました。
なので昔は「出雲社」と言えば、この出雲大神宮のことだったそうです。
この神社では元出雲の信仰があります。
「丹波国風土記の逸文に『奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、
大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す』とあり、
すなわち今の出雲大社これなり」
つまり現在の出雲大社の御祭神は、出雲大神宮から御分霊を遷したものだということ。
出雲大神宮にはこのような伝承が残っているのだそうです。
あなたの街にも、出雲を感じさせる地名や神社が残っているかも知れません。
日本の神話は、そのまま歴史に繋がっています。
これは世界的に見てもたいへん珍しいことなのだそうです。
神話を学ぶことは、私たちの魂やルーツを知る手がかりとなるのかも知れません。

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