1.「鎌倉殿の13人」久しぶりに観た大河ドラマ

源頼朝
大河ドラマと言えば戦国時代とか江戸時代など、「侍」のイメージがあります。
自称「古代史オタク」の私は、平安時代から戦国時代以降はチンプンカンプン。
なので大河ドラマはあまり観ない方です。
そんな私が「鎌倉殿の13人」は、引き込まれるように観ています。
理由は脚本が三谷幸喜さんであること。
そして主演が小栗旬さんだからです。
物語の序盤は正に「三谷幸喜ワールド」と言った感じで、コミカルなシーンが見られました。
源氏と平家の戦が始まると、少しドロドロとした展開になっていますが、
その前に衝撃的だったのは九郎(源義経)の登場でした。
菅田将暉という人気俳優の登場と言う意味だけではなく、
それまでのイメージを覆すような義経像が注目を集めました。
2.三谷幸喜が描き、菅田将暉演じる「九郎・義経」像
菅田九郎義経の登場は「第8話・いざ、鎌倉」より。
頼朝挙兵に馳せ参じようと、平泉を出て鎌倉を目指す九郎(義経)。
身を寄せていた奥州の覇者・藤原秀衡から
「存分に戦ってくるがよい」と、送り出されます。
菅田将暉の登場に盛り上がりを感じたのですが、驚きの展開が待っていました。
「天使か悪魔か」
菅田将暉さん演じる義経は、今までの義経のイメージを覆す言動でした。
戦(いくさ)の概念を覆す悲劇の天才軍略家というより、
最終的には頼朝や御家人の反感を買う、ルール無視のサイコパス気質な義経像。
無邪気な一面も描かれていましたが、それすらも感情をコントロール出来ない
身勝手で突拍子もない「はみ出し者」といった感じに思えました。
第8話「いざ、鎌倉」では、
兎狩りで地元の猟師と獲物をめぐって取り合いになる場面がありました。
そこで九郎(義経)は獲物を賭けて弓矢を飛ばす距離を競うことを提案。
「どちらが遠くに矢を飛ばせるか。
飛ばせた方がウサギをもらう」
しかし九郎は弓矢を遠くに射ると見せかけて、その猟師を射殺してしまいます。
しかも「真っ向勝負でも勝てたのではござらぬか」と言う弁慶に
「無理、無理ぃ~」と九郎は笑いながら平然と答えていました。
かと思えば、富士山を見て「登ろう」と無邪気に叫ぶ九郎。
「鎌倉は…?」と問いかける弁慶たち従者に
「行こう!まずは富士の山だー!」と富士山に向かって走り出してしまいます。
また別の場面では、潮のにおいを感じると、
「海が見たくなった!行くぞ~!」と走り出すなど自由気ままな言動も。
寄り道ばかりしていたわけではないのでしょうが、
兄・頼朝のいる鎌倉に「馳せ参じる」という感じではなかったですね。
しかし、頼朝との再会の場面では一転して
「兄上!九郎でございます。この日を待ち焦がれておりました」と、涙ながらに叫ぶ九郎。
「水を差して申し訳ないが、なにか御兄弟であるという証のようなものは…」
といぶかしげに問う義時(小栗)には
「顔 顔ぉ~!顔、そっくりー!」と答える九郎。
この時の頼朝(大泉)の表情も含めて、ギャグだと思った方も多いのではないでしょうか。
しかしあの場面を振り返って菅田将暉さんは
土曜スタジオパークでのインタビューで次のように答えていました。
「顔 顔って言うのはギャグではなくて、本気でやらないとダメだなーと」
そしてあの場面は、過去お芝居した中で一番難しかったかもとも言っていました。
最もダークな一面として描かれていたのは、兄・義円を騙して源行家と共に出陣させた場面。
義円は頼朝への思いを書状にしたためて義経に託すが、義経はその書状を破り捨ててしまいます。
翌朝、頼朝から義円の行方を尋ねられるが「知りません」としらを切るものの
一部始終を見ていた梶原景時(中村獅童)に義円の書状を復元されてウソがバレてしまいます。
義円は討ち死にし、義経は謹慎を命じられました。
しかし実際にはどうだったのでしょう。
鎌倉時代の事跡を著した歴史書「吾妻鏡」によれば、義円が鎌倉に行った記述はないそうです。
これは「鎌倉殿の13人」独自の場面設定と言えそうです。
脚本家・三谷幸喜氏の歴史解釈とも言えるかも知れませんが、
源家の骨肉の争いや頼朝の弟たちに降りかかる「悲劇の伏線」という演出ではないでしょうか。
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「八幡大菩薩の化身・義経の本領」
「経験もないのに自信もなければ何も出来ない。違うかっ!」
「準備が十分整ってから始めよう」と言って、結局は一生準備など整わずに計画は頓挫する。
そんなことを何度も繰り返してきた「腰抜け」の私には、この菅田九郎義経の言葉は衝撃でした。
のちに「平家を倒すためだけに生まれてきたようなお方だ」と
義政(坂東彌十郎)に言わしめたように
戦が始まると、義経がその本領を発揮し始めます。
序盤は佐竹氏討伐の金砂城の場面。
膠着状態を打開するため、義経が提案した奇策が採用されることに。
しかし上総広常(佐藤浩市)の功績により金砂城は落城し、義経の出陣は幻となりました。
義経は叫び声をあげて悔しがりました。
これも後の一の谷や壇ノ浦の戦いで軍才を爆発させる伏線だったのでしょうね。
ちなみに、上総広常の金砂城での行動は三谷幸喜氏ならではの展開でした。
敵将・佐竹義政と1対1で穏便に話し合うはずだった上総広常。
しかし義政の「お前 老けたなぁ」と言った挑発にブチ切れて、
思わずその場で斬り捨ててしまうというもの。
この「切れ」は同じく三谷幸喜氏脚本の大河ドラマ「新選組!」(2004)で
佐藤浩市さんが演じた芹沢鴨を思い出させるような場面でした。
しかしあの頃と比べると佐藤さん、老けましたね。
そしていよいよ「一の谷の戦い」です。
義経は「鵯越の逆落とし(ひよどりごえのさかおとし)」という奇襲で源氏を錯乱。
その戦いぶりは梶原景時(中村獅童)に
「八幡大菩薩の化身じゃ」と言わしめるほど。
次の「屋島の戦い」では悪天候のなかで船を出し、敵の不意を突き勝利。
そして平家を滅ぼした「壇ノ浦の戦い」では、
禁じ手とも言える敵の舟の漕ぎ手を射殺すという作戦で勝利。
ドラマでも舟の漕ぎ手を狙い撃つことについては、
「末代までの笑い者になりまする」と部下から言われた義経。
その部下に対して義経は矢を向けて、強硬に命令に従わせました。
結果、コントロールを失った敵を源氏軍が翻弄。
義経は舟から舟へと飛び移り、八面六臂の活躍で勝利の立役者になります。
義時(小栗旬)のいた源範頼(迫田孝也)の軍勢は、
九州側からその戦いの様子を観戦していましたね。
範頼の軍勢は平家の逃げ道を塞ぐ役割は担っていましたが、
勝利に貢献したとは言い難い様子が描かれていました。
一の谷の戦い以降、手柄は全て義経に持って行かれた感じですね。
「鎌倉殿の13人」のドラマではそのような印象を受けましたが、
実際のところ本当に義経一人の功績だったのでしょうか。
当時の文献や、最新のシュミレーションから検証してみましょう。
3.合わせて観たい「歴史探偵」という番組
「歴史探偵」という番組をご存知でしょうか。
毎週水曜日、午後10時から放送されているNHKの番組です。
「歴史の謎を解き明かす」というコンセプトで歴史に挑む内容。
「探偵社」が現地調査、最新の科学実験、AIなどによるシミュレーションを駆使して、
歴史の謎に迫るという堅苦しくない娯楽番組です。
【参考】NHK「歴史探偵」HP
探偵所長は佐藤二郎、副所長は渡邊佐和子アナウンサー。
渡邊佐和子アナはこの番組の「前身」とも言える
「歴史秘話ヒストリア」という番組でも司会を担当されていました。
現地取材を担当する「探偵」はNHKの若手アナウンサーです。
この番組で、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関連したテーマが取り上げられました。
4月27日放送の「ヒーロー 源義経」と、5月4日放送の「壇ノ浦の戦い」です。
(※6月1日再放送予定)
上記のように、「探偵」はNHKのアナウンサーが担当するのですが、
「ヒーロー 源義経」の回ではなんと、
俳優の迫田孝也さんが自らの志願によって探偵を担当しました。
迫田孝也さんは「鎌倉殿の13人」では源範頼を演じています。
そしてこの番組の「所長」佐藤二郎さんは、同じく比企能員の役。
迫田孝也さんは「鎌倉殿の13人」の撮影現場で、佐藤さんに探偵役を直訴したそうです。
「ヒーロー 源義経」ではゲームのグラフィック技術を駆使した義経の「素顔」や、
伝説の「鵯越の逆落とし」の新説を紹介。
そして「壇ノ浦の戦い」では天才的な義経の作戦と、
知られざる源範頼の功績が紹介されています。
「歴史探偵」の見逃し配信もU-NEXT
「ヒーロー 源義経」(歴史探偵 4/27放送)
「京の五条の橋の上~🎵」
幼名の牛若丸で、初めて義経のことを知りました。
平家滅亡の功労者でありながら、義経の記録は少なく
伝説やフィクションが多く、謎の多い武将と言われています。
私はけっこうゲーム好きですが、そのキャリアは「ドラクエ」や「FF」で止まっています。
番組では「信長の野望」などで知られるゲーム制作会社の協力を得て
義経の「顔グラ(顔グラフィック)」に挑みます。
このゲームメーカーは、「鎌倉殿の13人」で3D地図の監修も担当しているそうです。
シチュエーションは「鵯越の逆落とし」で、参考にした資料は平家物語や義経記など。
残っている容姿に関する記述は「色白」「むかば(前歯)が出ている」「小柄」「濃い髭」など。

源義経
著作権の問題もあるのでどうかと思いましたが、
番組内で作成された義経の「顔グラ」です。
そして「小柄だった」という義経。
平家物語の中にもあった有名な話「弓流し」
屋島の戦いで海に落としてしまった弓を、義経が必死で拾いあげた逸話です。
源氏の大将が貧弱な弓を使っていたことがバレるのを怖れたためと言われています。
その小柄だった義経の実像に迫る資料が「国宝 赤絲威鎧(あかいとおどしよろい)」です。
義経が部下を通じて奉納したと伝えられる、義経の鎧。
「歴史探偵」では紹介されませんでしたが、おそらくは愛媛県の大山祇神社所蔵のものでしょう。
義経の鎧は春日大社にも奉納されているようです。
そのレプリカから専門家が算出したところ、義経の身長は151cmとのこと。
当時の平均身長からしても、かなり小柄だったようです。
武将らしからぬ非力で小柄だったにもかかわらず、
多くの兵を従えて功績を残した義経。
戦場においては、神憑り的なカリスマ性を持っていたのかも知れません。
さて、この「歴史探偵」の「ヒーロー 源義経」では
「鵯越の逆落とし」に関する「新説」が紹介されていました。
「逆落とし」の鵯越は一の谷後方の山ではなく、8kmほど東であること。
そして「鵯越の逆落とし」を行ったのは義経ではなく、
その地域の地理に詳しい多田行綱という武将だったとのこと。
番組(歴史探偵)では実際にその推定地に行き、坂の角度を測定。
それより少し急な角度の下り坂を使って、馬で降りる実験もしていました。
「壇ノ浦の戦い」(歴史探偵 5/4放送)
「歴史探偵」で放送された、「壇ノ浦の戦い」でも「新説」が紹介されました。
平家物語や吾妻鏡に精通しているわけではないので、私はえらそうなことは言えません。
が、あえて「壇ノ浦の戦い」についてまとめると概略は次の通り。
最初は水軍を擁し、潮の流れや海戦に長じた平家軍が優勢だった。
しかし潮の流れの変化や、義経による漕ぎ手への攻撃により戦況が変化。
九州に渡っていた範頼の軍勢に退路を断たれていた平家は滅亡した。
平家側の大将・平知盛は最後の意地を見せ
首を敵に取らせないよう、錨を背負って入水自害。
義経率いる源氏軍は勝利するものの、
肝心の安徳天皇は崩御し宝剣(三種の神器のひとつ)が水没した。

源義経と平知盛
平家物語では、戦いの最中に平家軍の阿波重能の水軍300艘が源氏側に寝がえり
平家軍敗北を決定づけたと記されています。
「鎌倉殿の13人」では義経による「漕ぎ手攻撃」が奏功。
「八艘飛び」など、「八幡大菩薩の化身」らしい義経の
八面六臂の活躍で勝利したように描かれていました。
義時もいた範頼の軍勢は平家の退路を断つ役割はあったものの、
「壇ノ浦の戦い」では戦況を見守り、戦後処理をするだけでした。
しかし「歴史探偵」では、最新のAIによるシミュレーションを試み
「壇ノ浦の戦い」の戦況分析をしました。
それによると、義経は潮の流れを熟知しており
「敵舟の漕ぎ手攻撃」も計算づくだった可能性が指摘されました。
形勢逆転は単純なものではなく、「還流」という特殊な潮を読んだ
義経による緻密な計画に基づいたもの。
そして操舵不能となった平家側の舟がその「還流」によって九州側に流され
待ち構えていた範頼軍の遠矢の餌食になったという「新説」でした。
説明がヘタクソですみません。
興味のある方は「歴史探偵」を見直してみてください。
せめて再放送日までにこの記事をアップするつもりでしたが、
全然間に合いませんでした(笑)
ドラマの見逃し配信で知られる「U-NEXT」では、
NHKのドラマだけではなくバラエティ番組やドキュメンタリーも配信。
この「歴史探偵」の過去の放送も配信されています。
ご紹介した「新説」に興味のある方は、
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大きな声では言えませんが31日もあれば、
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4.義経の最期
平家滅亡の最大の功労者でありながら、
後白河法皇にも見放され、兄・頼朝からも受け入れられない存在となった義経。
かつて身を寄せていた奥州・平泉に戻りますが、
頼朝の策略によって最期を向かえることになります。
この「菅田将暉ロス」については、別の記事でご紹介したいと思います。
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